わいんの日記

まあなんとかやってますよ

考え続ける人

はいどーも!わいんです!

はい、というわけでね、前回の記事でちょっとは膿を吐き出せたので、今回からはね、自分の書きたいことを好きなように書いていこうかな、と。

 

まあ、1年前に僕が何を思って『日記』とつけたのかは覚えてないですけど、それこそmixiの延長線上みたいな感じで書いていければな、って感じです。

今思えば確かにmixiの日記も黒歴史ではありますけど、見返してみると案外面白いもので、成長を感じられたり、根っこは変わってないんだな、って安心できたりしますね。

だから今書いているこの文章も決して無駄はにならないと信じたいです。

 

えー、まずタイトルについてなんですが、なんというか、考える事をやめることを諦めた。って感じです。少なくとも考える事をやめることはできそうにないのと、あと考える事で何か意味があるんじゃないかって思ったからです。

 

で、考える時って大体辛いときなんですよね。嬉しい時に、なんで今嬉しいんだろう、とはあんまり考えないと思います。

だからきっと一度しっかりと考えておく事で、次に似たようなことがあっても、すんなり乗り越えていけるんじゃないかな、役に立つんじゃないかな、と信じてこの文章を書き進めています。

 

  • 考え方の癖

まあ、これは人それぞれだと思います。僕の場合、考えすぎてしまうって感じなんじゃないかな。あ、もちろん何か起きても特に考えないって人もいるとは思います。

何がいいとか悪いとかじゃなくて、人それぞれ考えたり考えなかったり色々あるなかで、どうやったら楽に生きていけるか。僕の場合、考えないっていうのは無理な話なので、そんだったらどうするかって話です。

 

で、僕の場合は考えはどんどん深みに入っていきます。

例えば、

もっとうまい文章が書きたい→どうすればできるんだろう→なるほど、色んな文章を読んだり、実際に書いてみるのが大事なんだな→あれ、でも気力がないぞ→気力がないのはなんでなんだろう→体力がないからだ、運動をしよう→今度はモチベーションがないぞ→なるほど、創作意欲をあげるためには何か刺激を受ければいいらしい→映画を見よう→というか、こんなことしてる俺って本当に書くのが好きなのか?→あれ、そもそもなんでうまい文章が書きたいんだっけ?

もちろん矢印は一方通行ではなく、色んなことが絡み合ってこうなっているんですけど、大体はこんな感じです。

考えているうちに色々ぐちゃぐちゃになって、そもそも文としても支離滅裂なのに、頭の中でこれが起きているっていうんだから性質が悪い。

 

それでも、一番下から上までゆっくり1つ1つ辿っていくように考えていかなければ、この問題はどうやら解決しないみたいです。

 

で、その一番下っていうのが、いわゆる承認欲求、人に認められたいっていう考えなんですよね。

 

  • 承認欲求

承認欲求とはマズローの欲求5段階説の4段階目の部分です。

マズローの欲求5段階説についてはこちら、いわゆるピラミッドのやつです。

matome.naver.jp

 

結局何が言いたいかっていうと、上にあがっていくためには下の部分(土台)がないといけないし、逆に言えば、上に上がってしまえば下のことは考えなくていいみたいです、どうやら。

承認欲求で悩んでいる僕は、つまり3段階目まではクリアできているみたいです。まあでも今はTwitterなんかで3段階目だったらクリアできそうですけどね。同じ話題で、同じ時間で、集団に属すってことになると思いますから。

 

そして、これの何が性質が悪いかって、しばらく3段階目にいると4段階目まで上がりたくなってしまうもんなんですよ。困った話ですね。

茨の道ですよねー。集団の中で認められて、必要とされたいって。

もちろん楽なのは、他の分野で4段階目まであがることだと思うんですよ。それこそ人の役に立てる事なんていくらでもあるし、その対価としてお金がもらえるなら、なにより。

 

でも、やっぱり文章を書いているとここに戻ってきます。それで、何が困った事かっていつ5段階目にいけるのかわからないってことです。

 

もちろん小さな承認欲求はいくらでも満たせます。見てくれた、よかったと言ってもらえた、広めてくれた、自分も書いてみようって思う人が現れた、お話から絵を描いてもらった、本にしたら、買ってくれる人がいた。

後ろの2つについては僕はまだ未経験ですけど、結局どこまでいったら5段階目にいけるなんて、自分にしかわからないことで、達成してみなければわからないことなんですよね。

ただ、やっぱり評価が気になったり、ぎりぎりとしている内は、まだ4段階目なんだなあ、と思ったりもするわけです。

創作をする以上、どうしても数字が関わってきます。いい意味でも、悪い意味でも。それをたった数ヶ月ですけど、痛感しました。

そして慣れとは恐ろしいもので、一度認められると、もっと認められたくなって、嬉しいはずの褒め言葉がだんだん麻痺してくる。ただそれが辛いから、わらにもすがるような勢いの如く、感想を頂いた際は真剣に考えて、受け答えをする。聞こえはいいですけど、なんか、4段階目にいたいのか、5段階目に行きたいのかよくわからなくなってきますね。

ただはっきりしているのは、5段階目になればきっと楽になるんでしょう。感想もなにもかもすっと入ってきて、すっと返す事ができるようになるんでしょう。思い返す事はあっても、こういうことは考えたりしなくなるんでしょう。頑張るしかないですね。

 

ただ、どこまでいけばそれを気にしないようになれるのかわからないですけど、とにかく今は書いて、読んで、書いて。とにかく書いて、書いて。それでちょっとずつ認められるようになっていければな、と思いますよ。

 

ああ、書いててよくわからなくなってきました。もっとまとめるべきだった。

でもまあ日記なので、あくまでこんな感じで。

 

  • 考え方の癖、その続き

で、さっきの僕の考え方、矢印がめちゃくちゃあるやつに戻って、ひとつコマを進めると、どうやら僕は書くのも好きみたいです。何かを書いていると楽しいし、こうして考えの整理にもつながります。それじゃなかったらあれだけ書いてません。今もですけど。何が好きかっていうのは、結果からわかる事もあるってことですね。

どうやら悩むと立ち止まって考えるくせに、楽しい事はまず行動してみる性格みたいです、僕は。

考え方の、それ以降の上の部分については半分蛇足みたいなものなので、割愛します。

 

  • まとめ

頭では分かってるはずなんです。目の前の事に対してどうすればいいのか、どうすればうまくなれるのか。

ただ考える度にどうやら僕の頭は混乱を起こしてしまうので、その都度原点に帰ってあげて、ちゃんと道筋を地図で確認してあげる必要があると思いました。どうすればいいのか、ではなく、どうしたいのか。っていう、ところまで。

 

で、ある程度の道筋ができて、その次はその道路に障害物が紛れ込んだとき。いわゆる実際に何か嫌な事が起きたとき、悩んでしまった時にどうやって対処していけばいいのかな、ということについて書いていけたらいいですね。