わいんの日記

まあなんとかやってますよ

25年と11ヶ月、そのあと約半年生きてみて

いやー、このブログに戻ってくるのも久しぶりですね。

前のあの記事が320日前とは、時が経つのは速いもんです。

あれから約1年、やらかしてから半年が経って、改めて自分を振り返っていきたいと思います。

 

本当はもっと明るい文章を書きたいんですが、どうしても次に書く内容はこれって決めていたので。これを乗り越えないと、次に進めない気がしたので。

ちょっぴり重い内容で申し訳ない限りです。

 

  •  その後

 

まあ、あんまり重い話もあれなんで、さらっと言いますね。

前回の記事の続きとしては、その翌月に仕事を辞めて、病院と家の往復をするだけの生活をしていました。鬱病だとか適応障害だとか、いわゆるそーゆーやつです。

約2週間に1回病院に行って、あとは家に篭る。そんな日々でした。

 

  • 2018年1月31日

で、そこから約4ヶ月。忘れもしない約半年前の、2018年1月31日。

あの日に自分はやらかしました。

誕生月(2月)が来る前に、なんとかして消えなければっていう想いに囚われていました。

これ以上生きて恥を晒していくぐらいなら、ここらへんで引き際を決めて、「あー、惜しいやつを亡くしたな。残念だったな」って、周りの人の中で生き続けられるだろうって思ってました。

あの時は遠くからわざわざ心配して家まで来てくれた人も、普段連絡を取らない過去の友人が何度も電話をくれたり、メッセージをくれて、すごく救われました。

本当にあの時はありがとう、ごめんなさい。

と、ようやく少しは半年前の自分と向き合えるようになって来ました。

 

まあ、今でもこうふらっとどこかに飛んでいきたくなるような気持ちはふと浮かんできます。だけど、その時の事を思い出すと大丈夫なのかな、とも思えます。

あの時の出来事は、自分の中でのひとつの重しみたいな感じになったのかな、と。

 

あとは何だろう、自分は周りに心配してくれる人がいてよかったな、と思います。当時は全部の思考が自分に向いていて、相談しようなんて思えなかったし、もし周りで悩んでいる人とかがいたら声をかけてあげてほしいな、って感じです。「なんかあったら聞くからな」だと、「なんかあってから」じゃないと聞けないんですよね、ほんと。

まあでもそれもね、共倒れになってしまっては元も子もないので。

そんなに気負わずにちょっと声をかけてあげたりするだけでも、きっとその人にとっては心の支えになるもんですよ。きっと。

 

あとは…これは完全に個人的な意見になるんですが、電車の人身事故の話でもめるとすごく心が痛みます。自分は周りの人に迷惑をかける一歩手前まで行こうとしたので。ほんと、他人に迷惑をかけてしまうっていう理性と生きたいっていう生存本能を超えてくる何かがあったんですよね、当時は。

 

  • 二度目の人生

この二度目の人生っていうのは自分で勝手に言ってます。限りなく消える可能性は低かったとはいえ、自分の中で1月31日は、はっきり消えてやろう。って思った日なので。

あと、あの時自分を助けてくれた人を決して忘れないように、っていう意味も篭ってます。

 

そこからはまあなんとも、内容のない日々ですね。(実際には色々あったんですが)

週2-3で病院に通って、なんていうんですか、いわゆるお薬を使わない療法、みたいので徐々に元気になっていったんですよね。

それで、今月。7月からは週5で、まあ徐々に社会復帰に向けて頑張ってるというやつですよ。

ここにくるまで約1年かかってますからね、実際に社会に戻れるのはいつになることやら。

 

  • お話を書くようになって

2018年の4月11日から、自分を知ってくれている方はよくお分かりのことかと思いますが、お話を書くようになりました。ちょうど3ヶ月前の事ですね。

「あー、なんかこいつ頑張りだしたな」ぐらいの気持ちで見ていてくれている、昔からお付き合いしてくれている皆さん、いつもありがとうございます。

お話を書き始めてから知り合って、この文章をここまで読んでくれた皆さん、こんな自分ですみません。もし、これを読んで自分の作品が嫌いになってしまったなら、本当にすみません。でも、あのお話が生まれるまでには、こんな経緯があったんですよ、と、だけ。

始めてここで自分を知る皆さん、なんというか、うーん……。こんな自分でも、誰かを感動させることはできるみたいです。

少なくともこれを始めた事で、自分の中でひとつの自信がまたできた気がします。日々、色んなことで悩んでますけど。

まあ、そのこともいずれ、まとめていきたいですね。

少なくとも、この3ヶ月の間でちっぽけな承認欲求が満たされたのは確かです。

 

  • 承認欲求について

物心ついたときには、『生きる理由』を他人に求めていた気がします。自分らしさ、とか、アイデンティティ的なのも含めて。

誰かに認められて、その人の中で自分が生きているなら、例え自分自身がどうなろうと構わないっていうのは、1/31のときの行動でよく分かりました。

いわゆる『承認欲求』ってやつですね。

それと関連して、マズローの5段階欲求説についてもたくさん調べました。まあ、そのことについても、いずれ。

 

で、色々調べたんですが、こういう子っていうのは、子供の頃に褒められなかったり、愛情をもらえなかったりすることが多いそうで。

自分の場合は逆でした。親から褒められる事がとても多かったです。

むしろそれが過剰だったのかもしれません。物心ついたときには、学校などで周りの人と比べて、なんか違うな、と思ってました。

元々一人っ子だったこともあり、周りの目をよく気にするような立ち回りをしていました。

それで周りをよく見てみると、自分が"1"のことをして親は褒めてくれるけど、周りの子はなんとまあ、当たり前に"2"や"3"のことをしていたんですよね。

 

なーんかおかしいな、と。

 

そこからは褒められても素直に受け取れなくなりました。褒められる事で、嬉しさよりも恥ずかしさが勝るようになりました。

きっとこの考え、記憶が根底にあるから、今でも人から褒められるってことが苦手なんだと思います。褒められたい気持ちは人一倍あるはずなのに。

 

もっと軽率に自分を褒めて生きたいですね。

この前読んだ本では、「自分を好きになるには誰かといる自分を想像しなさい」と書いてありました。なるほど、確かに親しい友人と話している自分や、大勢の人の前で話せる自分、誰かに優しくしている自分は、割と好きなほうかもしれません。

 

 

  • 終わりに 

 

と、まあ前回と比べてわりとさくっとまとめてしまいました。

25年分と、1年分の差があるので、当然のことかもしれませんが。

 

今後はもっとタメになる文章とか、もっと明るい文章を書いていきたいですね。

色んな人と話して、色んなお話を読んで、色んな刺激を受けて、それで自分の手で何かを創り出せて、誰かが何か心に感じたものがあったなら、それがひとつの重しになると思うので。